それゆけ卒業大作戦
阪東は、卒業できないかもしれない。
そんな話を亜久津から聞いたのは、冬休みが終わってしばらく経った頃だった。
阪東ヒデト。
何だかんだヒロミにとって因縁深い相手となってしまった、一級上のその男は、武装に制裁された後の長期欠席がたたり、ただいま卒業崖っぷちに立たされている、らしい。
そういえば、近頃、なぜか校内で姿を見ることが多いと思っていた。
「卒業するつもりあんのか?」
その日の帰宅途中、ヒロミが戯れに聞いてみたところ、今はある、と阪東は何とも意味深な返答をした。
今はあるってことは、前はなかったってことだ。
その心境の変化に関係しているのかは分からないけれど、阪東は最近校内でよくリンダマンと一緒にいる。
阪東と同じくリンダマンも卒業が危ない一人らしく、以前はほとんど来ていなかったのが、ここ最近、よく見かけるようになっていた。
「まーがんばれよ」
留年して同級生ってのだけは勘弁してくれ。
そのときはそう言って、いったん話は終わった。
それから数日後。
いつものように事が終わった後、互いに固めた前髪が幾筋か額におちて、それを相手の指でちょっと直されるのも楽しいような時間。
突然、阪東が切り出した。
「ヒロミ、勉強教えろ」
「は?」
勉強、という言葉が今の状況と、それ以上に阪東に似合わない。
間の抜けた声を出してしまったことをヒロミは後悔したが、阪東はかまわず話を進めた。
以下は、阪東の話である。
昨日、阪東とリンダマンは、担任から呼び出しを受けた。
彼らの学年では最も問題児であろう二人が呼び出された先は、いつもの図書室ではなく、職員室。
嫌な予感をおぼえつつも、阪東は出向いた。
職員室の扉を開けた瞬間、先に来ていたリンダマンが振り返った。
「この世の終わりみたいな顔してたぜ」
そのときのリンダマンときたら。
あいつのあんな顔見たことねえ、と阪東は言った。
職員室には、三年の教科担任が勢ぞろいしていた。
そこで担任から告げられたことは、阪東もリンダマンも、二人とも壊滅的に単位が足りない。
出席日数は何とかなっても、このままでは卒業は認められない。
そう言われたのだという。
「何で?」
阪東の話を聞いて、ヒロミは不思議に思った。
ヒロミの見るところ、阪東もリンダマンも、バカはバカだが決して大バカではない。
フルネームが漢字で書ければ、入学できる。
近隣の中学や高校で、そう噂される鈴蘭の中では、まだ知性の感じられる方と言えた。
ちなみに、鈴蘭の学力については、在学二年でその噂が正しいものであるとヒロミは理解している。
それなのに、何故?
信じられねー、という顔でヒロミに見られ、阪東はバツが悪そうに横を向いた。
「……テスト、受けてねーんだよ」
三年になって、一度も。
リンダマンも同じらしい、と言われて、一気に腑に落ちた。
なるほど、定期試験を全部スルーしていれば、いかな鈴蘭といえども単位はもらえない。
「で、留年決定?」
それなら仕方ない。
残念だったな、と肩を叩こうとしたヒロミの手を、阪東は振り払った。
「まだ決定じゃねーよ」
一週間後に試験がある、と阪東は言った。
教科は国語数学社会理科英語。
範囲は高三の履修範囲全て。
ハードルは全教科平均五割。
ひと息に言った。
卒業の、それが条件らしい。
「そうか、まー何だ……がんばれよ」
他に何も思い浮かばないので、とりあえず励ましの言葉をかける。
「……なに他人事みたいに言ってんだ」
しかし、阪東は思いがけないことを言った。
「は?」
「テメー俺の話聞いてなかったのか?」
「俺の話って……」
「ベンキョー教えろって言っただろうが!」
ヒロミの耳元で、鼓膜も破れよとばかりに大声をあげる。
言ってねーよ、と思いながら、赤面する阪東を見て、ああ、こいつにも一応人並みの羞恥心ってやつがあったんだな、と。
裸の首を絞められながらヒロミは思った。
翌日の放課後、ヒロミは図書室にいた。
ヒロミを呼び出したのは阪東。
なぜかリンダマンも同席している。
更に春道、それからポンとマコもヒロミについてきて、図書室は大賑わいだった。
「こいつ、昼んとき俺が阪東とリンダマンに家庭教師すんだって?って聞いたら何て答えたと思う!?めんどくせーよなあ、普通にやりゃ半分くらい余裕で取れるだろーが、だってよ!」
「ちょっと俺たちより頭がいーと思って!思えばこいつは中学んときからそうだった!」
春道とポンはなぜか結託して、ヤンキーの知性派ってどうよ!?とヒロミを糾弾する。
「言っとくけど俺だって九九は六の段までなら余裕だぜ!ろくいちが六、ろくに十二……ろっく五十四!どうだ!!」
「英語だって任せろ!ろっくはrockで石なんだよ!Like a rolling stoneってな!ヘヴン!」
うるさいことこの上ない。
「頼むから出てけ」
ヒロミが言っても聞く耳を持たず、結局、ブチ切れたリンダマンにたたき出されるまで二人は騒ぎ続けた。
終いには、rockは石じゃなくて岩だ、とリンダマンから冷静に指摘されて、ヒロミ!こんなデキる男に勉強なんて教えてやる必要ねーぞ!と、矛先を変えて叫んでいた。
「ヒロミ」
騒ぎが収まると、一部始終を黙って見ていたマコが、ちょいちょいと寄ってきてヒロミの肩をつついた。
「何だよ?」
「これってどういう話だろーか?」
そう言って、差し出されたのは図書室には珍しい文庫本だった。
『はつ恋』と緑色の表紙に記されたタイトルに、ヒロミは脱力した。
頬を赤らめながら、うっとりと本を見つめる、この男が杉原誠だなんて思いたくない。
「……知らねー」
ぐったりした気分で答える。
こんな騒ぎの中、珍しく阪東が静かにしているな、と思ったら、机に肘をつき、すでに居眠りの態勢に入っていた。
何だかもう、授業の始まる前から疲れ切っているヒロミ先生だった。
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ヒロミが阪東の家庭教師してたらかわいいなーというのと、卒業間際に阪東とリンダマンが仲良くなってたらかわいいなーというのと。
欲望のおもむくままに書いてしまいました。