ぐるぐる少年









 夜歩く人を見た。
 中学時代の仲間が働く店に遊びに行って、秀吉は一人歩いて帰る途中だった。
 暗い路地を、その人――ヒロミも一人で歩いていた。
 後ろ姿で、距離も多少あった。
 けれど、夜目にも派手な金髪を、見間違えるはずもなかった。
 この俺が。
 この俺が、と秀吉は思う。
 見覚えのある白いシャツの上に、金髪の小さな頭が、ゆらゆら揺れながら歩いていく。
(酔ってんのか?)
 まず、そう思った。
 そんな歩き方だった。
 思わず立ち止まり、次に、何であの人がこんな場所に、と思った。
(いや……)
 そして、考える。
 あの人だって、夜遊びくらいするだろう。
 暗い道でも、たとえ酔っ払っていても、別に心配する必要もない。
 むしろ、夜道でヒロミに行き会ってしまった人間の方が、柄の悪そうな男に、何かされるんじゃないかとビクビクしなきゃならない。
 そういう人だ。
 そういう人なのに、どうも、俺はあの人に夢を見すぎている。
 自嘲半分、秀吉は思った。
 しかし、思ったところで、その場を立ち去ることもできない。
 ヒロミの姿が見えなくなるまでは。
 ヒロミはふらつく足取りで、それでも、道端の反吐なんか、ひょいひょい避けながら歩いていく。
 白いシャツの細い背中を、穴が空くほど見つめながら、
(こっち見ろよ)
 拗ねた気分で思う。
 すると、次の瞬間、ヒロミが立ち止まった。
 まるで、秀吉の心の声が聞こえたみたいだった。
 立ち止まって、振り返る。
 秀吉は息をのんだ。
 あの人の背中には、目がついている、と冗談じゃなく思った。
 振り返ったヒロミは、夜だというのに、大きなサングラスをかけていた。
「……」
「……」
 無言のまま、見つめ合う。
 ただし、ヒロミが秀吉と認識しているかは不明。
 それでも、さながら蛇に睨まれた蛙のように、秀吉は立ち竦んだ。
 裏通りの、生臭い風が頬を撫でる。
 ふと、ヒロミが笑った。
 数メートルの距離を隔てて、本当に笑ったかどうかは分からない。
 ただ、そんな気配がした。



 翌日の放課後、秀吉は、一人廊下を歩いていた。
 隣にマサの姿はなく、他に連れもいない。
 もし、観察力に優れた人間が見れば、歩き慣れた鈴蘭の廊下を歩く秀吉の顔に、奇妙な緊張感がみなぎっているのが分かっただろう。
 秀吉は、ゆっくりと歩いて、一年の教室を通りすぎ、階段の手前で立ち止まった。
 そろそろと数歩進み、一番下の段に足をかける。
「……」
 柄にもない逡巡が胸にうずまき、秀吉が、やっぱりもう帰ろうか、と思ったときだった。
「今帰りか?」
 声をかけられた。
 俯けていた頭が、反射的に上がる。
 階段の上からかけられた声は、認めたくないけれど、秀吉の期待していた人―ヒロミのものだった。



「……そうッスけど」
 ぐ、と拳を握り、秀吉は答える。
 見上げたヒロミの顔に、あの大きなサングラスがなくて、何となくホッとした。
「暇か?」
 階段を下りて、秀吉の横に並ぶ。
 無意識に足を引こうとした秀吉の進路をふさぐように立ち、ニヤッと笑った。
「あんたほどじゃねーけど」
 秀吉は言った。
 握った拳を開いたり閉じたり、手のひらの汗は、間違いなく冷や汗だった。
 俺は、この人が恐いんだ。
 笑うヒロミの顔を間近に、悔しいけれど、認めざるをえない。
 だからと言って、そんなことを人前で、特にヒロミ本人の前で、あからさまにできるわけもなく、
「あんたほどじゃねーけど、別に、急いでもいねーけど……」
 生意気な姿勢は、あくまで崩さない。
 それは、ヒロミと対峙するとき、秀吉が常に意識していることだ。
 それなのに、自分の口から出た言葉の拙さと、幼稚な声の響きに、秀吉は、内心ひそかに狼狽えた。
 何がおかしいのか、ヒロミは笑う。
 ぐ、と喉が鳴った。
 その音をごまかしたくて、ことさらに大きな音を立て、舌打ちする。
 なるべく、嫌な奴に見えるように。
 できれば、ヒロミが怒り出すように。
 そのつもりでやったはずなのに、ふと視線を逸らして見た廊下の窓ガラスに映っていたのは、だらしなく鼻の下を伸ばした自分の顔だった。



「お前が一人って、めずらしいな」
 散々笑って、ようやく気が済んだのか、ヒロミは言った。
 マサのことを言われていると、すぐに分かった。
 校内では、たいてい行動をともにしている、親友の姿が今日は秀吉の隣にない。
「別に、そんないっつも一緒にいるわけじゃねーし……」
 ヒロミは、何か特別な意図があって言ったわけじゃない。
 秀吉にだって、それは分かる。
 分かっているのに、思わず口から出た言葉の言い訳めいた響きに、死にたくなった。
(この人が知るはずねーんだ)
 自分で自分に言い聞かせる。
 ヒロミさんは、何となく言っただけ。
 ただ、俺が、ヒロミさんの言葉には、何でもかんでも裏を読みたくなっちまうだけだ。



 つい十五分ほど前のことだ。
 本日最後の授業が終わると、マサは秀吉の席に走ってきた。
「帰ろーぜ」
 いつものように言う。
 いつもと同じに、腹減ったな、と言われて、どっか寄ってくか、と言われて、
「俺は用があるから」
 けれど、秀吉の反応は、いつもとは違った。
「先に帰ってろ」
 そう言って、まるで犬でも追うように、マサを帰らせた。
 思い返せば、いっそ自分で自分を殺したい。
 待ってようか、と言うマサに、待ってなくていい、と言った。
 そんなつもりはなかったのに、キレたような答え方になってしまった。
 何必死になってんだ?とマサに言われて、その場に穴を掘り、埋まってしまいたいと秀吉は思った。



「どーした?」
 黙りこんだ秀吉を見て、ヒロミは怪訝な顔をする。
「……何でもねえよ」
 その視線を避けるように下を向き、ようやく秀吉が口にできたのは、それだけだった。
「変な奴だな」
 そう言って、ヒロミはフッと笑う。
 あんたこそ、と言いかけたセリフは、喉の途中に貼りついて止まった。
「……」
 秀吉は、無言でヒロミを見つめる。
 より正確に言うと、ヒロミの着ている服を。
 襟に縁取りのある、白いシャツには、見覚えがあった。
 昨日の夜も、着ていたシャツだ。
 ヒロミが、それほど衣装持ちでないとは思えないから、今朝はそのまま来たんだろう。
 夜じゅう街をふらついて、そこから直接。
「ヒロミさん……」
 秀吉は口を開く。
 昨日、あの後何してたんだ。
 言いかけたセリフは、しかし、またも喉の途中で止まった。
 もし、口にしてしまえば、わけもなく言葉にのった嫉妬の響きに、自分の方が耐えられなくなると分かったからだ。
「……」
 言いかけて、止めて、秀吉は黙りこむ。
「ついてこい」
 黙りこんだ秀吉を、観察者の顔でしばらく見ていたヒロミは、突然、大きな溜息をつき、そして、言った。
 秀吉に背を向ける。
 そのまま、どこへ行くとも告げることなく、歩き出した。
「……」
 秀吉は、相変わらず黙ったまま、ヒロミの背中を睨んだ。
 白いシャツの細い背中。
 ヒロミはきっと、あんな一言だけで、秀吉がついてくることを疑いもしない。
 そんな風に思われていることは情けなく、けれど、ヒロミの思惑にいつもいつも乗るしかないことは、更に情けなかった。
 昨夜、秀吉は、繁華街の裏路地でヒロミの姿を見かけた。
 振り返ったヒロミと見つめ合い、もし、ヒロミが対峙する相手を秀吉と気づいたなら……。
 秀吉は、心のどこかで、こういうことを期待していた。
 こういうこと、つまり、もし気づいたなら、今日、ヒロミが学校で秀吉に声をかけてくることを。
 本当に悔しいけれど、認めざるをえない。
 俺は期待していた。
 いかれてる、と秀吉は思った。
 いかれてる、と思い、死にてえ、と今日何度目か思い、思いながら、意思とは関わりなく体は駆け出して、ヒロミの後を追っていた。









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ヒロミに誘われる秀吉。
嫌なのに近づきたくて、好きなのに逃げ出したくて、ヒロミの前で、自己評価的に格好の悪いことばかり言ったり、したりしてしまう己に、ウワーッとなってる秀吉が大好きです。
ヒロミは、後輩から見たら、結構恐い先輩だと思う。
ところで、ここ最近、秀吉→ヒロミを連続して更新しているのは、連載途中の「ファスナー」が、なかなか終わらないからです。
書いても書いても気に入らない。
ので、別の話でうさばらしを。
違う!秀吉はもっと友だちのいない感じ!とか、ヒロミはもっと秀吉の目に美しいのに!とか、一人勝手にぐつぐつしております。
しかも、あの話は、秀吉とヒロミが最初にいたす(……)直前で終わる予定なので、書いた先にえろシーンがないのが、ないのが……えろシーンはご褒美ですよ(自分への)。












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