うららかな春。 その日、鈴蘭男子高校の校舎屋上で、脱童貞の咎により脱がされかけた杉原誠のズボンのポケットから、数葉の写真がこぼれ落ちた。 「何だ、これ?」 床に散らばったそれらのうち1枚を、亜久津が拾う。 「これは…マコトさん?」 亜久津の手元をのぞきこんで佐川が言った。 小学校の校門を背に、あまり板についていない子供用の背広を着て、はにかむように立っている。写真の少年は、確かに、マコこと杉原誠その人だった。 現在とはまるでサイズが違うが、顔はあまり変わっていない。 「あれ?わかっちゃった?」 ずり落ちかけたズボンを引き上げながら歩いてきて、マコは亜久津の手から写真を取り上げる。他にも散らばった何枚かを、ヤスが集めて手渡すと、サンキュ!と写真と同じ、はにかむように言って、それらを大事そうにポケットに仕舞った。 「マコ、何でお前そんな自分の写真ばっかいっぱい持ち歩いてんの?」 まさかナル?と心底から嫌そうにポンが聞く。 すると、 「いやあ〜」 マコは、今日は屋上にやって来た当初からニヤニヤしっぱなしだった顔を更に笑み崩れさせる。ガシガシと掻かれる頭には、愛する彼女からのプレゼントだという帽子が乗っていた。 「いや、泉がさ、俺が友達に君の写真を見せるっつったら、わたしも誠君の友達の写真見たい、なんてね。で、友達の写真だけでいいのか?って俺聞いたの。そしたら!誠君の昔の写真も見たいな…ってね!」 感極まったらしく、天を指しその場でターンまできめながら、愛ってすばらしいね!とマコは叫ぶ。 ああ、神様。あれが硬派のマコだと誰が信じるでしょう。 親友のそんな様子に、さすがに慣れたとはいうものの、ポンは軽い目まいをおぼえた。思わず数歩、ふらふらと後ずさる。 と、 「お…っと」 後ずさったポンの足が、1人だけ会話に参加していなかった男の背中に当たった。その男、坊屋春道は、屋上の床にしゃがんで、ヤスよりも先に拾ったらしいマコの写真を見ていた。 「どうした春道?」 春道があまりに熱心に見ているので、ポンは先ほどの佐川よろしく、春道の手元をのぞきこんだ。 「あれ?その写真……」 「ポン」 写真を片手に、もう片方の手を顎に当てる。春道は、真面目な顔で写真を掲げると、まさか、と前置きして、一点を指した。 「まさかとは思うが…この眉なしは…ヒロミか?」 春道の掲げた写真には、3人の中学生が並んで写っていた。 3人とも男。3人ともにどう見ても不良で、今にも飛びかかってきそうな目つきでこちらを睨んでいる。場所は学校。薄汚れた壁に背中をあずけた、向かって左がポン、右がマコ。そして、2人の間に、春道曰くの「眉なし」がいた。 「ああ、ヒロミだぜ」 「これが…中学のときのヒロミさん…」 ポンが頷くと、写真を見上げ、ショックを隠し切れない様子で佐川が呟く。 マコは、頭がボウズである他は現在と変わりない。ポンは、大きなマスクにリーゼントパーマのおなじみのスタイルである。 しかし、その間に挟まれた2人の親友、今ここにいない桐島ヒロミは、今ここにいる大半の人間が、それしか知らない現在の姿とはあまりに違っていた。 髪はオールバックで今のように立ててはいない。別にそれは良い。 着ている物は海老塚中の制服である。それも良い。 問題は顔である。写真で見る限り、中学生のヒロミの顔には、眉毛というものが全くなかった。 なるほど、人の顔の印象は、眉毛だけでこうまで変わるのか。 ヤスは写真を見て、自分の姉を思い出した。毎朝命がけのような顔で鏡に向かう彼女が、メイクの中でも特に重視しているのが眉で、なるほど姉ちゃん、あんたのしていることは間違っていない、と姉とは全く関係のない場所で弟は思う。 もちろん、眉毛を剃るのは、不良少年が顔に迫力を出す方法としては基本中の基本である。同じようにしている人間は、ここ、鈴蘭高校にも少なくなかった。 しかし、この場合は、土台が見慣れたヒロミの顔である。目つきこそキレてはいるものの、どちらかと言えば優男の部類に入るだけに、眉毛のない顔の不気味さは、言い表しようもなかった。 「恐えだろ?そのヒロミ」 「ていうか、性格もめちゃくちゃ危なかったもんな、そのヒロミ」 ヒロミとは中学以来の2人が、揃ってため息をつく。 「俺さ、前にポンに、阪東たちと喧嘩してた頃のヒロミは恐かったな、って言ったんだよ。そしたら、ポンが、中学んときはもっと恐かったって…何か分かる気がする」 亜久津が肉のついた背中を丸めて言った。 「ヒロミさんの性格が丸くなったって言われる理由も分かりましたよ。やっぱ見た目に性格って表れますよね」 同じく佐川も。もしもヒロミが今も写真のような男だったら、今のように親しくはなれないだろう。恐くて。俺たちって、やっぱり半端だよな、とヤスも交え、3人はポンマコよろしくため息をついた。 未だ写真を手にした春道も、つられたようにため息をつく。うららかな春の日だというのに、屋上にはどんよりとした空気が漂った。 そんなときだ。 「ヒロミはどーした?」 思いがけない人物が屋上に現れた。 「ば、阪東!?」 「お前、卒業したはずじゃ!?」 「ていうか、この街出てったはずじゃ!?」 その人物、阪東ヒデトは、口々に囀る後輩たちを、どうでもいいだろクソヤローども、と卒業しても相変わらずの阪東節で黙らせる。 「それより、ヒロミはどこだよ?」 「ヒロミは今日ここには来てないぜ」 そんな阪東を前に、1人平然としていたのは坊屋春道。しかし、春道の声に振り返った阪東の目は、春道本人ではなく、その手の中にある物に吸い寄せられる。 「それ…」 「ああ、これか?」 春道は、阪東の目の前に先ほどの写真をかざす。阪東の視線は、写真のある1点に釘づけとなっていた。 「寄越せ」 短く言って春道の前に手を出す。 「人にものを頼むときはよ、センパ…」 「いいから寄越せ!」 阪東は春道の言葉を遮り、一瞬の隙をついてその手から写真を奪い取った。 「あっ!阪東テメ…」 ビリッ。 次の瞬間、響いた音に、その場にいた誰もが我が耳を疑った。そして、目の前で起こったことには目を。 阪東が、春道から奪い取った写真を破ったのだ。まるで躊躇せず写真の2か所を破り、1枚を3等分する。 「何しやがる!?」 呆気にとられる一同の中で、最初に我に返ったのはマコだった。やはりと言うべきか、写真の持ち主である。 「このヤロー!!」 先ほどのヒロミと同じく、マコもまた高校生活を通じて性格が変わったと言われる1人だった。特に、彼女ができて以来その変化は著しく、泉が嫌がるからとケンカもほとんどしない。マコがキレたところを目にするのは、誰もが久しぶりだった。 しかし、そこはやはり腐っても阪東ヒデトである。つかみかかってきたマコをすんでのところでかわし、その手の中に、破られた写真の一部を押し込んだ。 あっという間のできごとだった。 「返すぜ」 そう言って、にやりと笑う。その顔にみなぎる妙な迫力に圧倒されたのか、思わず、といった感じでマコは後ずさった。 「じゃあな」 そんなマコの肩を叩く。阪東はおそろしく上機嫌な様子で、あっさりと屋上を去っていった。 「何しに来たんだ?あいつ…」 「俺、阪東のあんな嬉しそうな顔、初めて見た…」 ポンが、次いでマコが呆然と呟く。 マコの手の中に残されたのは、先ほどの写真の3分の2。真ん中のヒロミが抜けて、マコとポンだけの中学時代だった。 「阪東…あれがヒロミさんだって気づいたんすかね?」 今のヒロミとはあまりにも違う、まるで別人のような姿。 「恋だねえ」 ヤスの言葉を継ぐように春道が呟いた。屋上のフェンスにもたれ、歌うような調子だった。 誰と誰の恋なのか。どうしても考えたくない一同だった。 |