悪事の片棒
秀吉と寝るようになって、ヒロミには、ひとつ困ったことがあった。
金だ。
金がすぐに無くなる。
秀吉の手クセが悪いわけではない。単純に、金を使う機会が増えた。何に使っているかといえば、ご休憩だったり、ご宿泊だったりのアレである。
自慢じゃないが、とヒロミは思う。俺は、高校生男子相応の薄い財布しか持っていない。
たとえ秀吉と折半しても、毎回のそれがヒロミにとっては実のところ大きな出費だった。
いつでも自宅にヒロミを連れこみたがった阪東と、秀吉は違う。秀吉は、ヒロミを決して自分の家に連れて行こうとはしない。
「うちはいつも親とかいるから」
それならそれでヒロミはいいのに、らしくもなく言い訳がましいことなんか口にする。
(墓穴だな)
ヒロミは思った。秀吉は、自ら墓穴を掘ったことにも気づかない様子で、ヒロミさんちは?なんて聞いてくる。
「ダメだ」
ヒロミは一笑に付した。
秀吉の家には、マサがほとんど身内のような感じで出入りしている。前にゼットンが話していた。
だから、なのだろう。おそらく、秀吉は、マサにヒロミとの関係を気づかれたくないのだ。
それが恋なのか何なのか、ヒロミは判断は保留した。いずれにせよ、自分が口を出す筋合のことじゃない。
「あんたの家に行きたい」
秀吉は、ヒロミよりも背が低い。どちらかと言わなくても小柄なヒロミよりも更に小さい。まだ1年だから、きっとこれから伸びるに違いない。が、今はヒロミよりも低い位置から見上げてくる。
秀吉は、ヒロミの手を引いてベンチの隣に座らせた。
犬の目をしている。今の秀吉の目は、それも、気まぐれな主人の機嫌をうかがう飼い犬の目だった。
(京華中の狂犬が聞いて呆れる)
「連れてかねえよ」
そう言って、ヒロミは、ついでのように秀吉の頭を撫でてやった。本当の犬ならば首輪の位置に、今日はいつものネックレスをしていない。うつむきながら、上目にうかがう秀吉の顔を、ヒロミは楽しげに見返してやる。
と、頭の上に乗せた手を払われた。不機嫌そうに横を向く秀吉を、自分の意地の悪さは棚に上げて、面倒な奴だと思った。
本日、昼過ぎから登校してきたヒロミが中庭を通りかかると、秀吉は、いつものベンチに珍しく1人で座っていた。
「よお」
声をかけると、何だよ、と。きっと精一杯なんだろう、ふてぶてしい態度を取る。ふてぶてしい態度を取りながら、でも、ズボンの尻でシッポがパタパタ振られているのが、ヒロミには見えた。
1人か?
ああ。
ヒマか?
そんなでも。
授業サボんなよ。
あんたもだろ。
どこ行く?
ヒロミさんち。
ダメだ。
何で?
そんな会話を交わしながら、ふと視線を感じてヒロミは上を見る。校舎の窓から誰かがのぞいていた。屋内だからか、いつもの帽子は被っていない。リーゼントの頭が見えた。
階段をゆっくりと下りてくる。踊り場で手すりに肘をかけて見下ろす。見ていたのは、マコだった。
マコは、1年坊主に駆け引きめいたことをしかけるヒロミと、ヒロミの隣でふて腐れたような秀吉を交互に見ていた。
ヒロミを非難しているようにも、また、呆れているようにも見える。
非難しているのか、それとも呆れているのか。サングラスをかけているから、本当のところはヒロミには分からなかった。
そして、分からないなりに、おそらく、被害妄想めいたことが浮かぶのは、自分の中に後ろめたい思いがあるからだろう、と考える。とりあえず、マコはともかく、こんなところを春道に見られなくて本当に良かった、とヒロミは思った。
何となくいたたまれない気分になって、ヒロミはベンチから立ち上がる。と、秀吉も、つられるように立ち上がった。ヒロミをうかがうその顔には、期待と不安のない交ぜになった、複雑な感情が見て取れた。
(もしかすると、半年前の俺も、阪東にこんな顔を晒していたんだろうか)
それはいいようにされるな、とまだこちらを見ているマコに片手を上げ、秀吉を連れて立ち去り際、ふと思った。
「どこ行くんスか?」
秀吉は、歩き出して初めヒロミの後ろを歩いていたのが、やがて、意を決したように横に並んだ。
「ああ」
ヒロミは曖昧に頷いて返す。
木陰を抜けて、校舎と校舎の間の狭い道を通る。足元には、煙草の吸殻が白い小石のように点々と落ちていた。さっきよりも濃い影の中で見る秀吉は、やっぱり犬の顔をしている。首輪にリードが欲しいな、と思う。
とは言え、この1年は、別に性格が丸くなったというわけでは全然ないらしい。相変わらず、校外では狂犬として名を馳せ、学校の内外を問わず、きっと自業自得に違いない揉め事にまみれている。
そんな秀吉が、ヒロミの前でだけ、飼い慣らされたようになる。かわいくないと言えば嘘になった。
「図書室でやろうか?」
壁の穴に手をかけるヒロミの腕をつかんで、突然、秀吉は言った。
「あんたの好きな図書室」
(ああ、挑発してるつもりだ)
その秀吉の顔に、ヒロミはうんざりとした。かわいいけれど、鬱陶しい。今更、俺がそんな挑発に乗ると思ってんのか、と。ヒロミは、秀吉に頬を張ることで答えた。
ホテル、と出来るだけぶっきらぼうに言って、壁の穴をくぐる。学校の外に出ると、どうして日差しがいきなり強くなったように感じるんだろう。
(そう思わねえか?)
ヒロミが振り返ると、秀吉は手の甲で鼻血を拭いながら、いつか殺してやる、と呟いた。
殺せるもんなら殺してみろ、と言い捨てて、ヒロミは学校を後にした。秀吉も、呟いた後は無言でついてくる。
2人が入ったのは、駅裏の繁華街から少し離れたところにある、古いホテルだった。以前にも何度か使ったことのあるホテルだ。フロントから視線を感じるものの、男同士だからと利用を断られることはなかった。
しかし、ヒロミが秀吉を連れてこのホテルに入ったのは、それだけが理由ではなかった。
場所が少し不便で、外観も内装もやや古い。その分、代金の安いホテルだった。
ホテル代の工面に頭を悩ます。本当に、心の底からこんなことで悩みたくなんかないんだけれど、学生の身分では仕方がなかった。もちろん、この「安い」は相対的な評価に過ぎないが、とにかくありがたい。
入り口のパネルで、どれがいい?と秀吉に聞かれて、ヒロミはポケットに入っている薄い財布の中身を考えながら部屋を選んだ。
このホテルにはよくあることだが、1基しかないエレベータは整備中だった。部屋に行くのに、ヒロミの後について階段をのぼりながら、
「ヒロミさんって意外とバカだよな」
秀吉が言った。ヒロミが無視してのぼっていると、殴んねえの?と秀吉にしてはおずおずと聞いてきた。
「ホテルって高えよな」
終わった後、ベッドの上に秀吉と並んで体を横たえているときだ。性的に満たされて、ヒロミはつい気が緩んでしまった。口を滑らせたと気づいたのは、俺が全部出そうか?と秀吉に言われたときだ。要するに、後の祭りだった。
金を出す、という秀吉の言葉は殊勝だ。殊勝だけれど、殊勝なのは言葉だけで、表情その他はまったく殊勝じゃない。
「いいよ」
そういうつもりで言ったんじゃない。さすがに、後輩に奢られるとか気分悪いし。
ヒロミが言うと、秀吉はヒロミの顔を見て、嘲るように笑った。
「何で?俺が出すよ。俺が『男』だし」
そう言って、うつ伏せに寝転んだヒロミの背筋から腰の辺りまで指を這わせた。
「ん…」
思わず声が漏れる。殴ろうかな、と一瞬思ってやめた。
秀吉と寝るようになって、ヒロミは、秀吉の手が意外なほど気持ちが良いことを知った。秀吉の手は、まるで、女の手のように柔らかい手だった。柔らかくて大きな手で、昔、まだヒロミが子供の頃、頭を撫でてくれた誰かの手を思い出す。
「お前そのうち体デカくなんだろうな」
こんなに手デカいし。
いつだったか、ヒロミがそう言ったとき、秀吉は笑った。秀吉にしては珍しく屈託のない笑みで、それほど秀吉を喜ばせることを口にした自覚のないヒロミを戸惑わせた。
腰骨を執拗に撫で回していた手は、ヒロミが息を乱し始めると、腰から更に下へ。秀吉は、ヒロミの尻の割れ目から指を潜らせ、ついさっきまで自身の埋まっていた場所に触れた。
「もっと俺に甘えりゃいいのに」
そう言って、空いている方の手でヒロミの頭を上げさせる。秀吉は、さっきまで笑っていたのが、もう笑っていない。変に真剣な顔をしていた。
秀吉の、こういうところが難しいな、とヒロミは思う。阪東と似ていて、阪東よりもっと気まぐれで、ややこしい。目を閉じると、唇が重なった。
ヒロミが気持ち良さそうにしているか、何度も顔を離しては確かめながら、キスを深くしていく。かわいい奴だ、と思ったら切なくなって、ヒロミは、目の前にある秀吉の小さな体にしがみついた。
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