途上の二人






 冬の雨は冷たい。
 何でだろう、気温は高いはずなのに、雪の日よりも雨の日を寒く感じる。
 ヒロミは、隣を歩く阪東の様子をうかがった。
 黒いジャケットに、今日はジーンズ。
 口元までマフラーを引き上げる、鼻梁を伝って雨粒が落ちる。



 終バスに乗って帰ってくると、外は雨だった。
 傘を持ち歩く習慣は二人ともにないから、閉店した店の軒先や、街路樹の下を選んで歩いた。

「……バス、危なかったな」

 立ち寄ったコンビニでヒロミが言うと、阪東は無言で頷いた。
 あたたかい缶コーヒーが二本に明日の朝食、レジに並ぶヒロミのカゴに横からチョコレートを入れるのが、子供みたいだった。
 支払いが済んでいないのに、一人で出ていこうとするから、

「阪東」

 ヒロミは呼んだ。
 もちろん無視。
 駐車場でつかまえて、阪東が振り向きざま、ヒロミは、袋から缶コーヒーの一本を取り出して放った。
 ミルク入りの甘いコーヒー。
 阪東は受け損ね、アスファルトの上に転がった缶をヒロミが拾って渡すと、へこんだ縁を見て嫌な顔をした。

「落ちたって中身は変わんねーよ」

 ボンボンめ。
 苦笑しながら背中を小突く。
 いつもなら瞬時に倍返しのところを、阪東はピタリと動きを止めた。
 立ち止まり、手渡された缶に視線を落とす。
 コンビニの駐車場に出入りする車が、クラクションを鳴らしながら二人の脇をかすめていく。
 ヘッドライトに照らされた阪東は、自分の手の中の、あたたかい小さな缶をじっと見つめていた。
 これが何か分からない。
 そんな顔をしていた。
 いつもはそびやかして歩く肩を今日は竦めて、ヒロミに促され、歩き出す。
 下を向いて歩くのはお前らしくない。
 口にしかけた言葉を、ヒロミはのみこんだ。
 ブーツの金具がぶつかり合って、二人ともに足音ばかり高いのが滑稽だった。
 ヒロミは、ダウンジャケットのポケットに入っていたチラシを、グシャグシャに丸めてコンビニのゴミ箱につっこんだ。



 於某ライブハウス、カウントダウンイベントの宣伝。
 ヒロミが捨てたチラシの内容である。
 ほんの数時間前まで、二人も出演する予定だった。
 わっけわかんねー、いきなりワンマンにするから出なくていいって。
 ごめんね、と笑いながら頭を下げたオーナーの顔に、阪東が叩きこんだのは右ストレート。
 それから腹に右足、次いで左足。
 まるで躊躇なく、ぶっ飛ばした。
 軽く下がった頭が元の位置に戻るまで、KOには十秒もかからなかった。
 横にいたヒロミには止める間もなく、止める気もなく。
 騒ぎを聞いて駆けつけたスタッフ数人がかりで、阪東は取り押さえられた。
 取り押さえられて、なおひとしきり暴れ、おとなしくなったのはヒロミもまとめて事務所を叩き出されてから。
 乗りこんだバスが動き始めてしばらく経った後だ。

「出禁だってよ」

 乗客もまばらな最終バス。
 最後部の座席を一人で占領して、阪東は乾いた笑い声をあげる。
 口は笑っているが、目は笑っていない。
 何が癇に障ったのか、左耳のピアスのうち一つをむしり取り、床に捨てると靴先で踏みつけた。

「上等じゃねーか、こっちだって二度と出てやる気なんかねーよ」

 言い捨ててシートに沈みこむ。
 目を閉じて、けれど、こういう時には眠れない。
 ヒロミはよく知っている。
 阪東は、見た目よりも繊細な男だった。
 カウントダウン、とはいえ、それほど大規模なイベントじゃなかった。
 一つライブハウスとの関係をつぶしてまで執着するようなものじゃなかった。
 ヒロミはそう思う。
 おそらく、出演依頼を取り消した途端、いきなりキレられて、向こうだって困惑しただろう。
 素直に引いておけば、次だってあったのに、馬鹿な男だ。
 でも、ヒロミには阪東を責める気にはなれない。
 一つ前の列から腕を伸ばして、座席に投げ出された手をすくい上げる。
 全体としては大きいけれど、何となく華奢な印象の手。
 節の高い、いかにもギター弾きの指に指を絡めると、同時にぎゅっと握り返された。
 馬鹿な男だから好きだった。

「……ヒロミ、こっち来い」

 寝たふりしながら、口を開く。
 阪東に言われて、ヒロミは席を移動した。
 何となく、そうしたかったから、ジャケットの肩に頭をもたれかけさせて。
 それから、バスを降りるまで、互いの手はつながれたまま。
 停留所を経るごとに、乗客は段々と減っていき、車内はいつのまにか阪東とヒロミと、それから運転手の三人きりになっていた。
 二人がバスを降りるとき、あからさまにほっとした顔をされたのは。
 単に阪東とヒロミの人相風体が悪いからか、それとも、考えたくはないが、心中でもしかねないように見えたのか。



「絶対、有名になるぞ」

 コンビニを出て、アパートに帰る道すがら、阪東がぽつりと言った。
 めずらしくヒロミの後について歩きながら、どうかすれば、聞き逃してしまいそうな小さな声だった。
 絶対、有名になってやる。
 それこそ、バスなんか乗りたくても乗れないくらい。
 ヒロミが振り返ると、阪東は空になったコーヒーの缶を握りしめて、視線に気づくと、おもむろに顔を上げた。
 夜空の上の方で、雨水をいっぱいに含んだ風が鳴る。
 突風が街路樹の枝を揺らし、二人の頭上へ、天然のシャワーを降らせる。
 冷たい水に歯の根が合わず、けれど、阪東に手を握られると、口の奥のカチカチいう音はおさまった。
 まるで、魔法にかかったように、ヒロミは口を開いた。

「……いつか俺たちが成功したら、こういうのもきっと全部伝説になるから」

 葉末からこぼれた水滴が、開いた口の中へと落ちてくる。
 ヒロミが見返した阪東の瞳には、阪東を見つめるヒロミが映っていた。







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 死んだら新聞に載るようなロックスターになる予定の二人。
 ツネが加入するまでのバンドは、割と谷あり谷ありというか、苦労していたんじゃないかと思います。
 苦労に弱い阪東と打たれづよいヒロミ。
 というか、バンドへの執着の強さの違いでしょうか。
 やっと作った自分の巣を守るような感覚で、阪東はバンドの成功を強く志向し、ヒロミは、自分はそれほど執着はないんだけど、阪東の気持ちを理解していたらいいと思います。
 絶対、有名になってやる、と書いて、絶対、キレイになってやる、と大昔の(多分)エステのCMを思い出しました。





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