恋になればいいな
生まれついてのお祭り好きに、運動神経抜群。
桃城武にとって、毎年6月に行われる体育祭は、青学の年中行事のうち、もっとも楽しみなものである。
いつもは面倒なだけの委員会の仕事も、こと体育祭関係、となれば苦にもならない。
その心理はまったく分からないが、体育祭の雨天中止を願うような生徒も含めて。
2年8組の体育委員は、クラス全員の出場種目を取りまとめ、今、昼休みの時間を使い、エントリー表を実行委員会に提出しに行くところだった。
「ちわーっす」
生徒会室の前に、「第○会 青春学園体育祭 出場選手受付中」と書かれた紙が貼られている。
元気よく扉を開けた桃城が、部屋の中に見とめたのは、意外な人物の姿だった。
「やあ、桃」
その人物は、普段は生徒会の役員が使っているのだろう机に弁当を広げ、こちらに向かって気さくに手を上げる。
「タカさん?」
今日の朝練で顔を合わせたばかりのテニス部の先輩、河村隆と、思いがけないところでの再会だった。
青学の体育祭は、縦割りのブロック対抗戦で行われる。
1年1組と2年1組と3年1組で1つ、1年2組と2年2組と3年2組でまた1つというように、1年生から3年生まで各学年1クラスの合計3クラスで1ブロック。
各ブロックは、自ブロックの構成員が競技で獲得する点数の合計で、他のブロックと競い、優勝を争うのである。
1ブロックの人数は、約120人で、体育祭のルールに競技への全員参加を定めた1箇条が、また、各種目には出場人数の制限があるため、1人の生徒がエントリーできる競技の数は、せいぜい3つが事実上の限度だった。
そこで、俄然重要となってくるのが、戦力の投入バランス=誰をどの競技に出場させるか、である。
テニス部をはじめ体育会系の有力クラブを多数かかえる青学において、例年、体育祭の優勝争いは熾烈をきわめる。
その中で、保有戦力=ブロック員個々人の運動能力の充実をはかるのみでは、もはや優勝には足りず、戦力の投入もまた勝利のための必要条件である。
青学の生徒ならば周知のことだった。
体育祭の準備期間中、各ブロックのエントリーは極秘情報扱い。
したがって、それもまた当然のことである。
「実行委員……長?」
河村は、傍らのイスに置かれたバッグに弁当箱をしまい、机の中から生徒会備品の生徒名簿と1冊のノートを取り出す。
自分が委員長なんてとんでもない。
「違うよ」と言下に否定され、桃城は首をかしげた。
各ブロックの出場選手情報は、極秘であるがゆえに、実行委員の中でも、基本的に実行委員長しか触れられないことになっている。
ずいぶん前の体育祭で、あるクラスの実行委員から、彼のクラスが所属するブロックに他のブロックの情報が流れる、という事件があったらしい。
彼自身ではなく、彼が片思いをしていた相手のクラスだという説もある。
いずれにせよ、桃城たちが入学するより前の話で、今となっては真相はよく分からない。
分かるのは、ともかく今現在、体育祭のエントリーについては、決められた数日の昼休みに、各クラスの体育委員が提出するものを、実行委員長が単独で受けつけるという方式がとられているということだけだった。
ちなみに、場所も決められていて、公平を期すために生徒会室。
さすがにやり過ぎだと思う向きがないでもないが、ここ数年、更に、体育祭の実行委員長が誰であるかも、当日まで一般には伏せられるのが慣例となりつつあった。
だから、桃城は、事前に通達されたエントリー日の昼休みに、生徒会室に1人でいるところから、河村が実行委員長かと思ったのだ。
そういえば、いつだったかテニス部で委員会の話になったとき、河村は、自分は体育祭実行委員会の所属だと言っていた。
ちなみに、不二と菊丸は卒業アルバムの編集委員、乾はICT委員。
マムシの野郎が俺と同じ体育委員ってのが気に入んねえ。
そんなことを思い出しながら、すすめられたイスに腰かける。
と、忘れてた、とふいに河村は、桃城と入れ替わりのように立ち上がった。
生徒会室の扉に鍵をかけると、ほんの数秒のことなのに、「待たせてごめんな」と再び席についた。
生徒名簿を脇に置き、薄いブルーのノートを開く。
「実行委員長はカゼで休みで、今日だけ俺が代理なんだ」
後輩が首をかしげたままなのに気づいたのだろう。
「チェックはきちんとするから」
そう言って、新しいページにくせのない小さな文字で、「実行委員長代理 3年4組 河村隆」と記入した。
衣がえを数日後にひかえた5月の最終週。
学ランのホックと第一ボタンとを外して、ゆるめられた河村の胸元に、白い襟がちらちらと見え隠れする。
タカさん、シャツのボタンはずいぶん開けるんだな。
「どうしたの、桃?」
河村が顔を上げて、笑いかける。
突然の至近距離に、桃城の心臓が小さくはねた。
くだらないことを考えてました。
桃城が思わず視線を逸らすと、何も知らない先輩は、ん?と不思議そうな顔をする。
次に視線を戻したときには、もう、受け取ったエントリー表を片手に、「2年、8組……」と呟きながら、真剣そのものの表情で、生徒名簿をめくっているところだった。
河村が、生徒会室の扉に鍵をかけたのは、別にやましい意図ではなく、単に機密保持のためだ。
どきまぎしている桃城の鼻先をかすめるように手を伸ばしたのは、生徒会室の文房具入れから、赤と青のえんぴつと生徒会の判子とを借りるためだ。
分かってはいるけれど、少しだけ残念な思いがした。
各種目の出場人数は制限内か、クラス全員が何らかの競技にはエントリーしているか。
河村は、A4のコピー紙と、名簿に記された生徒名とをひとつひとつ、つきあわせて確認していた。
赤えんぴつと青えんぴつとを交互に持ちかえて、種目名と生徒名とを確かめては、チェックをつける。
1クラス、40人分と聞けば、たいしたことがないような気もするが、それでも、桃城なら、途中でうんざりして放り出してしまいそうな作業である。
気ばかりつかって、おもしろいことことなど、ひとつもありそうにない。
しかし、河村は生真面目に、特に倦むような様子も見せず、そんな作業を続けている。
同じ部活でそれなりに親しい後輩が相手だというのに、むだ話のひとつもするわけでない。
普段の気弱とも、部活中のバーニングとも違う。
河村の顔を眺めていると、たとえば、タカさんて意外にまつげ長い、なんて余計なことを考えているのも、何だか申し訳なくなる。
同時に、委員会活動でもさほど目立つタイプとは思えない彼が、病欠の実行委員長に代わり、エントリーの受付を任された理由も分かるような気がした。
「これで、ラスト」
5分……もしかすると、10分ほど経っていただろうか。
河村は呟き、桃城の提出したエントリー表の1番下、スウェーデンリレーに出場する選手の名前を確認した。
「あ」
小さな声があがる。
と、同時に、机上に据えられていた視線が、ゆっくりと上に向けられ、桃城をとらえた。
「やっぱりすごいね、桃は」
そう言って、河村はにこりと笑った。
すでに発表されているプログラムによれば、今年度の体育祭において、全種目の最後に行われるのは、ブロック対抗のスウェーデンリレーである。
「今年度の」といったが、スウェーデンリレーがトリをかざるのは毎年のことで、たいていの場合、各ブロックから最も足の速い1年生1人、2年生1人、3年生2人が選出されてくる。
他の競技に比べて得点が非常に高いのと、それから、何といってもラストの種目ということで、観客の注目度が抜群であるためだ。
河村の「すごいね」は、だから単純に桃城の足の速さに向けられたもので、他意はない。
そうはいっても自然に速くなる鼓動をどうすることもできず、「タカさんの方がすごいです」と、桃城は、河村に聞こえてしまわないよう、声には出さず呟く。
河村は、そんな桃城の心中を知ってか知らずか、「桃城武」の横にていねいに赤丸を打ち、エントリー表の隅に「青春学園中等部生徒会」の印を押すと、その下に自分の名前を書いた。
「タカさんは、何に出るんすか?」
生徒会室から去り際、桃城は河村に聞いてみた。
本当に言いたいことは別にある、と思いながら、発した問いに、返されたのは「それは言えないよ」という彼にしてはそっけない答えで。
「だって、桃はブロック違うだろ?」
「桃は8組、俺は4組」と、子どもをたしなめるような言い方だった。
「当ててみましょうか、タカさんが何に出るか」
何となく、いたずら心がわく。
半開きの扉に片手をかけたまま、おもむろに口を開いた。
「棒たおし、騎馬戦、それから、ブロック対抗のつな引き」
記憶の中から、昨年度の体育祭、3年生男子の種目を引っぱり出す。
「当たりだ」と呟く河村に、「よく見てますから」と言い置いて、部屋を出た。
さっきからのドキドキも、今のいたずら心も全部まとめて。
もしかすると、この気持ちは恋になるかもしれない。
まだ、はっきりとした自覚はないけれど、桃城はそう思った。
生徒会室を出て、後ろ手に扉を閉める。
振り返り、扉と壁の細い隙間から見た河村は、チェック済みのエントリー表をホチキスでノートにとめながら、ミスの最終確認をしていた。
またしても真剣な表情の彼に、「なったらどうしましょうね?」と、少しだけ聞いてみたいような気がした。
桃中2、隆中3の6月なので、桃は、まだ恋は始まらない(本格的には)な状態です。
私が、お姉さん受好きなせいか、桃タカの隆は、何だか書くごとにタチの悪いお姉さんになっていっているような気がします。
青学さん皆の委員会は、自分設定です。イメージと違ったらすみません。
タイトルはハ口プ口です。夕ンポポです。この歌すごく好きだったのです。
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