あけまして亜久津日記
1月6日、河村と初詣に行った。
年末からこっち、ずっと忙しかったという河村と会うのは久しぶり。
何を着ていくか迷って、何を血迷ったか制服を着て、寒かったから、その上に白いダウンジャケットを着た。
「学校行くの?」
とコタツから顔だけ出した優紀に聞かれたが無視。
ところが、支度を終えて玄関で靴を履いていると、後ろから追いかけてきて、
「じーん」
語尾にハートマークでも付いていそうな猫なで声で言う。
振り返ると、優紀はニヤリと笑い、
「隆くんと初詣行くんだってー?」
いい年をしてピンクの携帯電話をぱちんと開き、俺に画面を見せた。
たかしくん
Re:どこいくの?
初詣に行ってきます。
優紀ちゃん、おまもりとかいる?
「安産祈願のお守り買いなさいよ」
などと言うから、
「笑えねーよ」
って俺が答えると、何が楽しいのか拍手みたいに両手を打ち鳴らし、はしゃいだ調子で、
「バッカねー、あたしじゃなくて、隆くんのよー」
って…もっと笑えねーよ!
「あけましておめでとう、亜久津」
アパートの階段の下で、河村は俺を待っていた。
「テメー、ババアに聞かれたこと何でもべらべら話してんじゃねーよ」
正確には、話してはいないけど。
でも、俺が睨むと、河村はすぐにピンときたようで、頭をかきながら、
「ごめんね」
と言って笑う。
めずらしく誠意のないごめんね。
河村は、紺色のダッフルコートに、なぜか俺と同じ、学生服を着ていた。
「ああ、偶然だねえ」
そう言って、くすくす笑い、
「早く行こうよ」
と俺の袖を引いた。
河村のことだから、行き先はきっと近所の神社だろうと思っていたのに。
「すぐ次のがあるね」
引っぱられて行った先は、なぜか駅前のバス停だった。
河村は、バスの時刻を確認する。
「どこ行くつもりだ?」
俺が聞くと、俺でも知っている、都内の有名な神社の名前を言った。
「何で?」
遠出に否やはないが、河村の意図が分からない。
俺は重ねて問う。
「何でって言われても…」
河村は、上を向いて思案顔をする。
つられて俺も上を向くと、馬鹿馬鹿しいほどに晴れた冬の空が、頭の上には広がっていた。
「特に理由はないんだけど、新年から亜久津とバス乗ってどっか行くのも楽しそうだな、って」
ダメか?
俺とほとんど変わらない高さから、上目づかいで聞いてくる。
小首を傾げられて、それでもなお抗える俺がいたら、それは俺じゃない。
「…金、持ってねーから貸せ」
そう言って、俺は河村と一緒に、ロータリーを回ってきたバスに乗りこんだ。
未だ松の内だからか、バスの中は空いている。
しかし、俺たちと同じような初詣客の姿も見えず、不思議に思って俺がそれを口にすると、
「さすがに、もう6日だからね」
窓の外に視線をやって、河村は答えた。
「うちも明日からは通常営業だよ」
「お前んとこ休んでたか?」
河村の家の寿司屋は、一昨日も昨日も開いていたような気がする。
「逆だよ、いつもより早い時間から開けてたから」
正月は普段よりも忙しいらしい。
えんじ色をしたバスの座席に深く腰かけ、
「学校も明日から始まるね」
などと言う。
河村の話は、いつも他愛がない。
「そうだな…」
乗降する客のいない停留所でも、律儀にバスは一時停車。
常ならば、飛ばせ、と心の中で思う小さなバス停に、今日はいちいち停まってくれるのがありがたい。
「そういえば、うちの新年最初のお客さんっていうのがね…」
小さな声で訥々と、話し続ける河村の肩にもたれ、俺は居眠りの姿勢に入った。
ガラガラのバスに揺られて1時間。
たどり着いた神社は、バスの空き具合からそれと推し量れたとおり、空いていた。
もちろん、普段に比べれば参拝客は多いのだろう。
それでも、数日前のテレビで見た、身動きも難しそうな混雑はない。
警備の顔も、どこかのんびりとしていた。
大鳥居をくぐると、すぐ脇にある手洗所に、河村は足を向ける。
こういうとき、こいつは決して、亜久津も洗わなきゃダメだよ、などとは言わない。
俺の性格をよく心得ているのだ。
長いつきあいのせいか、でも、最初からこうだったような気もするな。
気まぐれに俺も手洗所に向かい、何だか馬鹿ていねいに手を洗っている河村の横に並んで、柄杓で水を汲んだ。
当たり前だが、水は冷たい。
洗い終わると、何も言わずにさし出されたハンカチを、何も言わずに受け取った。
くすの木の太い幹から、両腕を広げたみたいに伸びた枝が、参道に影をつくっている。
「寒いねえ」
と河村は、
「こうなると、混雑してる方がかえっていいねえ」
その言葉に、言外の意味を勝手に読み取って、俺は、先を行く河村の腕をつかんだ。
「何?」
振り返った河村の、腕から手を下にずらして、手を握る。
途端に赤くなる顔に、
「寒くなくなんだろ?」
ニヤリと笑えば、
「そ、そりゃあ…」
しどろもどろになるのがおかしかった。
180センチ超の男2人が手をつないで歩いていれば、いくら参拝客が少なかろうと、視線を感じずにはいられない。
でも、俺の隣で顔を伏せる河村に、
「離すか?」
と聞けば、大きく首を横に振る。
「神社でこういうのって、バチとか当たんないのかな…」
それなのに、何だか歯切れ悪くモゴモゴ言うから、
「当たんねーよ」
と小突いてやった。
バチが当たるのはむしろ寺か?
知らねえ。
まあ、どっちでもいいや。
拝殿の前に進んで、さすがにそこでは手を離す。
拍手を打つ河村の、目を閉じた横顔を盗み見ていたら、
「何?」
視線に気づいた河村が目を開ける。
「亜久津は何お願いした?」
と聞くから、
「してねえ」
と答える。
「そうか」
河村は、なぜか嬉しそうに笑った。
「実は俺もしてない」
そう言って、階段をおりていく。
「ここの神社、去年まで、父ちゃんと2人でよく来たんだ」
1月中旬くらいの、もっと店が暇になってから。
「もっとガラガラで、でも、まだ一応1月中だから、建物はみんな、きれいに飾りつけされててね」
それが不思議で、好きだった。
「お前んとこのおふくろや妹は?」
この仲のいい家族が、バラバラで動くのはめずらしい。
「妹は、俺と一緒に初詣に行くのは嫌なんだって」
河村は、おかしそうに言った。
言いながら社務所に近づき、優紀のリクエストだろう、ピンク色の丸っこいお守りを買う。
「家内安全」と書かれたそれに、
「そりゃ無理だ」
反射的に俺が言うと、
「亜久津がいるからねえ」
もっともらしい顔でうなずく。
やっぱり優紀のだ。
「小さい頃、ここじゃなくて、別の神社に行ったときだけどさ、神社ってよくニワトリがいるだろう?
妹が、放し飼いのニワトリを見て、お兄ちゃん、鳥さんがいる!って言ったんだって。
そしたら、俺がおいしそうだねえ、って答えたって。
いまだに言うんだから、困っちゃうよ。
俺は全然おぼえてないからさ。
それから、お兄ちゃんと行くのヤダって、一度も一緒に行ってくれないんだ」
河村は、妹の話をしながら、「交通安全」のお守りも一つ買った。
これもピンク。
「あいつ最近、友達と自転車でよく遠出するんだよ」
心配なんだ、と眉を下げる。
かわいくてたまらない、というのがよく分かった。
兄弟のいる感覚は俺には未知だけれど、河村の話を聞いていると、それほど悪いものでもなさそうに思える。
「亜久津も何かいるかい?」
そう聞かれたから、
「いらねーよ」
と俺は答えた。
神社の前の停留所で、帰りのバスを待ちながら、寒そうに肩をふるわせる河村の手を、再び俺は握った。
ぎゅっと強い力で握り返してくる河村に、
「そういえば、お前去年までは親父と行ってたって、今年はよかったのかよ?」
少し気になったことを聞いてみる。
河村は、つないだ方とは逆の手で、鼻の頭を掻くと、
「ああ…」
うつむいて、ばつが悪そうな顔をした。
「何だよ?」
「ええと…」
意味もなく足ぶみする。
俺は…正直言って、こういう、はっきりしない態度が嫌いだ。
もったいぶられているようで、いらいらする。
たとえ、相手が河村でも例外ではない。
「はっきり言えよ」
「大きな声出すなよ」
「っ、テメーは…」
問いつめようとするとする俺と、はぐらかしたそうな河村。
「仲が良くていいわねえ」
その間に、突然、しわがれた声が割りこんだ。
振り向けば、同じバス停でバスを待っていた婆さんが、小さな背をまるめて、にこにこと笑っている。
糸のようなその目の視線の先には、つながれた俺たちの手。
言い争い直前のやり取りをしながら、それでもしっかりと握り合っている。
気恥ずかしくなって、慌てて離すと、河村がぽつりと言った。
「亜久津と行くって言ったんだ」
父ちゃんに。
河村は赤い顔をして視線を逸らす。
その何に照れることがあるのか。
訝しく思って俺が見ると、河村は、耳まで赤く血の色にそめる。
思い切ったように口を開いて、
「亜久津と行くって…今年だけじゃなくて、来年も、再来年も、その次の年も…。
ずーっと、亜久津と一緒に行くと思うって」
父ちゃんに、そう言ったんだ。
言葉の最後の方は、もはや聞き取れない。
「それで、親父は…」
一瞬にして乾いた口で、それだけ言うのが俺も精一杯だった。
「そうか、がんばれよ…って」
折り良くか悪しくか、停留所に、待っていたバスが姿を見せる。
とりあえず乗ろうと促すが、河村はその場を動かない。
棒立ちのようになった河村を一人置いていくわけにも行かず、先に行ってくれ、と目顔で運転手に告げた。
「がんばんなさい」
バスが出て行く直前、タラップに足をかけたさっきの婆さんが振り返る。
優しいんだか無責任だか分からない、その言葉に、思わず俺はうなずいていた。
1月6日の空は晴れている。
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