trick on him or her ?




 その日、珍しく夕方からうちに来た河村の手には、近所のケーキ屋の箱があった。
 河村の家は客商売で菓子類などは貰い物が多いが、今日のは自分で買ってきたらしい。
 持ち手のついた水色の箱から、みどり色の陶器に入ったプリンが2つ現れる。

「あと1個あるから、優紀ちゃんの分ね」
 そう言って、河村は冷蔵庫に箱をしまった。
 勝手知ったる他人の家の台所である。
 冷蔵庫の横にある戸棚の引き出しから、デザートスプーンを2本取り出して戻ってきた河村は、1本をソファに沈む亜久津の前に置き、もう1本は握ったまま対面に腰をおろす。
 「食べよう?」と上目遣いにこちらをうかがって、両手をあわせた。
「いただきます」
 それが癖なのだろう、言うと同時に頭を少し下げる。

 そして、河村の甲斐甲斐しくもくつろいだ、まるで自分の家にいるようなそんな様子に、
(うちに住んでるみてえだ)
 亜久津の顔は、思わずニヤけそうになる。
「亜久津?」
 小首を傾げる河村の視線を避けるように、亜久津は「いただきます」も言わずにプリンをかきこんだ。

 河村が買ってきたのは、陶製の器の形状からうかがい知れる通り、カボチャのプリンだった。
 河村は「今日ハロウィンなんだよ」と、亜久津の(何故カボチャ?)と抱いた疑問を覚ったように口を開いた。
「本当は栗のプリンもあったんだけど、亜久津、栗の方が良かった?」
 亜久津の好物が栗のモンブランだと、河村は知っている。
「んなことねーよ」
 本音を言えば亜久津の中では、カボチャ<<<栗だが、ここで「栗の方が良かった」などと言ってしまうほどバカではない。
 亜久津だって、ハロウィンが今の日本でどんな扱いのイベントなのかくらいは知っている。
 河村は、たとえば、本当は桜餅が好きだけれど今日は5月5日だから柏餅、のようなつもりで、栗ではなくカボチャのプリンにしたのだろう。
「そうか、良かった」
 それに、このプリンは「そんなにまずくねえ」と亜久津が言うと、河村は安心したように笑う。
 その顔を横目で盗み見ながら、そうこうしているうちに優紀が帰ってきた。



 河村は、勧められるままに亜久津の家で夕飯を食べた。
 優紀が後片づけをするのを手伝い、それを終えるとしばらく亜久津と一緒にテレビを見ていたが、「そろそろ帰るね」と席を立つ。
「プリンごちそうさま」
 手土産の礼を優紀に言われて、こちらこそお夕飯おいしかったです的なことを口にする。
 中学時代、ずっと伸ばしていた髪を、この夏休みに河村はバッサリ切った。
 河村のショートヘアは同じ空手の道場に通っていた小学生の頃を思い出させて、子供っぽいと亜久津は思っていた。
 けれど、こうしているとそうでもない。
 玄関先で優紀と話す河村の、ふいに大人びて見える横顔を、亜久津はぼんやりと眺めていた。
 「ちゃんと送ってあげなさいよ」と母親に釘を刺されるまでもなく、河村の家まで送るつもりでいた。
 ブーツを履くのに時間のかかる亜久津より先にうちを出る。
 河村は、アパートの入り口で待っていた。
 しかし、「河村」と呼んでも返事がない。
 いつもなら、階段をおりてくる亜久津のことを、言葉は悪いがスーパーの店先に繋がれた犬のような顔で見上げているのに、何故か今日はこちらに背中を向けている。
 突然、何を不機嫌になっているのかと、思い切って制服の肩に手をやり「おい!」と亜久津は揺すった。
 と、
「Trick or treat ?」
 河村は唐突に振り返る。
 ぽかんとする亜久津をよそに、満面の笑みで言った。
(何だそりゃ?)



「えっと……その、お菓子をくれないといたずらするぞって意味なんだけど」
 よほど亜久津が不審げな顔をしていたのだろう。
 河村は、先ほどの勢いが嘘のように小さな声で言う。
 満面の笑みも一瞬で消えて、下を向いているから直接には見えないけれど、亜久津にはよく分かる。
 きっと、太い眉尻を限界まで下げ、今にも泣き出しそうな情けない顔でいるんだろう。
「俺ぁ、菓子なんか持ってねえぞ」
 そう言って、亜久津は河村の頭に手を伸ばした。
 河村の短い髪は存外に柔らかい。
 意味はよく分からないが、どうせ、不二や菊丸の入れ知恵だろう。
 亜久津は、1度だけ河村と一緒に歩いているときに遭遇したことのある、河村の友人たちの姿を思い浮かべ、舌打ちをした。
 河村が青学の中等部でテニスをしていたときの部活仲間だという2人は、過去にも何度か、河村に妙なことを吹き込み、妙な行動を取らせたことがあった。
 河村に言わせればそれは、「応援してくれているんだ」ということらしいが、女の友情は亜久津にはよく分からない。
「菓子、持ってねえとどうなるんだっけ?」
 気の弱い河村がこれ以上下を向いてしまわないよう、亜久津は自分なりに細心の注意を払う。
 できるかぎり優しく河村の頭を撫でた。
「……いたずら」
「ん?」
「お菓子持ってないと、いたずらするんだ」
「そうか」
 俯いた顔は耳まで赤い。
「『いたずら』してやろうか?」
 思わず口をついて出かけた言葉を、すんでのところで亜久津は止めた。





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 隆は菊丸に、亜久津曰くの妙なことを吹き込まれてきました。
 亜久津に「Trick or treat ?」って言って、お菓子をくれればまあそれはそれでオッケー、くれなかったら「いたずら」と称して自分からキスしちゃえ!と。
 そうだね、たまにはタカさんも自分から積極的に動いた方がいいかもね、と不二も援護射撃。
 うちの女子隆は亜久津が好きで、おうちを継ぐべく職人修行をしていて、男子のアクタカとどう違うんだ、といえば、たぶん亜久津が割と素直に隆に優しいのと、最初から2人にきちんとつきあっている自覚があることだと思います。
 ちなみに、この夜亜久津は 、「Trick or treat ?」と裸の隆に迫られる夢を見ます。思春期です。









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