orange,l'amour est orange




 期末テストが終わった日、久しぶりに友達と遊びにいった。
 本当は、テスト勉強でしばらくサボッていた分、店の手伝いをしなくちゃいけなかったんだけど。
 運が良いのか悪いのか、その日はちょうど定休日で。
 それなら、せめて自分の修行だけでもと思い、最後の科目が終わってすぐ家に電話をかけた。
 そうしたら、近くで水道管のトラブルがあったらしい。
 夕方までうちも含めた近所一帯が断水になったとのことだった。
 店が営業日でなかったことを考えると、これも運が良かったって言えるのかな。
 でも、自分のことだけを考えると運が悪かった。
 夜になったら断水も終わるだろうし、そうしたら少しは練習できるかな。
 そんなことを考えながら、帰り支度をしていたら、

「ターカさん!」

 後ろから英二が飛びついてきた。

「今日これからヒマ?時間ある?」

 テニス部の練習も、さすがに今日は休み。
 英二は、隆が家の事情を話すと大喜びした。

「じゃさ、タカさんもこれから一緒に買い物行かない?」
「英二、よそのトラブルをそんなふうに喜ぶの良くないよ」

 パンッ、とマンガで読んだ錬金術師のように、英二は両手を打ち合わせる。
 その横から、たしなめる口調で大石が顔を出した。

「どこに行くの?」

 すると、こちらは隆の横から、同じように不二が顔を出す。

「ボクも行っていいかな?」

 駅ビルに有名な輸入雑貨の店が入ったから、そこに行く。
 英二が言うと、不二は聞いた。
 華奢な手の、右の薬指にはめたリングをクルクルと回す。

「いいよお!もちろん!」

 テストが終わったばかりで、テンションが上がっているらしい。
 英二は思いきり伸び上がるように両腕を上げ、そのまま不二にギュッと抱きつく。
 隆が同行することは、すでに決定事項とされているようだ。

「乾は?」

 中学のテニス部で、3年生のときにレギュラーだった6人はとても仲が良かった。
 部長だった手塚は留学し、自分も抜けてしまったけれど、他の4人は高校でもテニスを続けている。
 結束力は今でも変わらなかった。

 隆が口にした名前に、すかさず英二が反応する。

「乾は用事。たぶん汁!」

 汁!汁!と天を突きさすように、細い指をさし上げて連呼する。
 まあ、乾の用は十中八九汁だろうね、と隆も、そして大石も頷いた。

「あるいはデータ収集かもね。それとも分析かな」

 英二の後を受けて、不二がつぶやく。

 汁かデータか。
 乾の青春には、それしかないのか。
 健全な若者としてそれでいいのか、と思うときもなくはない。
 でも、本人がそれで幸せならいいんじゃないかな。
 他人がどうこう言うことじゃないよね。
 ほとんど無理やりにそう結論づけて、4人は学校を後にした。


 結論から先に言うと、久しぶりの買い物はすごく楽しかった。
 まず駅前でランチを食べて、その後、英二の言っていた新しいお店に行った。
 時々、何かを忘れているような気もしたけど、それを気にする暇もないくらいの盛り上がり。
 1時間だけって決めて、カラオケもした。
 気の置けないメンバーばかり、テストが終わった直後の開放感。
 夕方、もう一度学校の前まで戻って解散するまで、皆とにかく笑いっぱなしだった。
 帰る方向が同じの不二と、近所の三叉路でバイバイって手を振り合って。


 少し早足で家へと向かう途中、何となく見上げた西の空がすごくきれいだった。
 いろんな色がグラデーションになった夕焼け空。
 思わず足を止めた瞬間、カバンとは別に胸に抱えた紙袋の中で、ガラスとガラスの触れあう音がした。
 割れてないかな、もっともそんなに簡単に割れるものじゃない。
 店の名前がプリントされた丸いシールを、そっと剥がして中をのぞく。
 赤白ストライプの袋の中には、小さなガラスの壜が何本か。
 今日、不二や大石や英二のきれいな手の指を見ていたら、どうしても欲しくなってしまった物だ。
 剥がしたシールを、もう一度丁寧に貼り直す。

 華奢な指。
 すんなりとした指。
 細い指。

 3人に比べて、隆の手はだいぶ大きいし、指も太い。
 だから、似合わないかもしれないけど。
 寿司屋の修行があるから手には使えない。
 でも、足の指くらいなら大丈夫かもしれない。
 そう思って、思い切って買った。
 夕焼けと同じ色をしたマニキュア、ベースコート、それからトップコート。
 思いがけず本格的になったのは、不二にアドバイスしてもらったおかげ。
 由美子姉さんの受け売り、と本人は謙遜してた。
 同い年なのに、不二はやっぱり大人だなって思う。
 これも付けるとかわいいよ、と勧めてくれたビーズが、袋の底でかすかな音をたてた。


 帰ったら夕飯の支度を手伝って、ご飯が終わったら巻の練習をしよう。
 テストが終わったばかりだから宿題はないけど、英語だけは予習をしておかなきゃいけない。
 お風呂……はゆっくり入って1時間。
 それ以上入ってたら、また父ちゃんに叱られちゃう。
 お風呂を出たら10時くらいかな。
 11時には絶対寝なきゃだから、乾かす時間も入れて1時間か。


 そんなことを考えながら、紙袋をギュッと抱きしめる。
 ちょっと迷って、カバンのポケットから携帯電話を取り出した。
 またちょっと迷って、メールを打った。
 宛先は、ついさっき、期末テストの終了をメールで伝えてきた幼なじみだ。
 ちょうどカラオケボックスを出たところで、まだ皆と一緒だった。

「すぐ返信してあげなよ。彼きっと待ってるよ」

 英二や不二はもちろん、大石にまでひやかされてしまった。
 それで返信が遅れたなんて、言い訳にならないけど……。
 件名は「お疲れさま」で、顔文字も絵文字も入れない短いメールだ。

 お疲れさま。
 こっちもやっと終わったよ。
 久しぶりにゆっくり寝られそう。

 そして、1通送信した後もう一度携帯電話を取り出して、今度は前よりも更に迷って、もう1通。
 件名は、「ところで」だ。

 ところで。
 明日の夜、時間ある?

 明日は店の手伝いがあるけれど、それが終わった後。
 程なく返ってきたメールを見て、思わず吹き出してしまった。
 「ある」と本文は2文字だけ。
 そっけないのか、携帯電話を使うのが苦手なのか、どっちにしても好きだなあ、と思う。
 店の手伝いが終わった後。
 時間は遅くなるけど、ほんの近所に行くだけだし、帰りは必ず送ってくれるから。
 たとえば、それは単なる自己満足なのかもしれないけど。
 今日の夜、がんばってきれいにするから、あいつに見てほしい。
 そんなことを考えながら、隆は再び歩き出した。












 期末テストの終わった翌日、河村が家に来た。
 寿司屋の手伝いが終わった後だから、あいつにしては遅い時間。
 テスト期間中も修行は休まず、勉強は隙間を埋めるようにしていたらしい。
 当然、男に割く時間などあるはずもなく。
 つきあい始めてからは毎度のことだが、放ったらかされて暇なせいで、こちらも真面目にテスト勉強に取り組んだりしてしまった。
 1年前には考えられなかったことだ。
 河村が家に来るのは久々だった。
 と言っても、1、2週間ぶりというところ。
 期末の最終日が一緒だということは知っていた。
 だから、テストが終わったら、すぐに連絡するつもりでいた。


 それなのに、

「今から皆で遊びに行くんだけどさ、亜久津も行くよね?」

 教室で帰り支度をしていたら、軽薄男が飛びついてきた。
 中学時代にほんの一時期、気まぐれで入っていたテニス部で知り合った男だ。
 高等部では、何の因果か同じクラスである。
 行くよね、とまるで行くことを前提に話を振ってきた千石に、行かねえ、と即答する。
 失せろ、とオマケもつけて。
 行かねえ、と。
 即答した、確かに。
 それなのに、いつのまにか集合していた元テニス部の連中にまぎれて、いつのまにか押し出されるように学校を出ていた。
 いつのまにかファミレスのテーブルについていて、亜久津仁ともあろうものが!とテーブルを殴りつける。

「やめろよ亜久津、テーブル壊れたらどうすんだよ」
「弁償なのだ」
「それって連帯責任になるのかな?」
「俺の水がこぼれた……」
「あ、おかわりもらったげるよ。ついでに注文も。おーい、お姉さーん」

 いつのまにこんなに軽々しい口をきかれるようになっちまったんだ!?と自問自答する。
 ハンバーグは(河村の作ったものほどではないが)うまかった。


 異常に長い時間をかけて飯を食った後、店を出たところで何とか奴らをまいた。

「そういえば亜久津、今日彼女は良かったの?」

 レジで金を払っているとき、千石が悪びれない顔で聞いてきた。
 誰のせいだ、と毒づいて。
 携帯電話で河村にメールを打てたのは、もう日没も近い時間である。
 期末テストの最終日は、「河村すし」の定休日と重なっている。
 もしかすると、河村は自分からの連絡を待っていたかもしれない。
 そう思うと、何となく申し訳ないような気分だった。

 申し訳ないなんて、俺がそんな気持ちを感じるのは、お前にだけ。
 だから寂しがっちゃいけないぜ。

 電車を降り、家に向かって歩きながら心の中でつぶやく。
 しばらくすると、河村から返信があった。
 こちらからメールを送って河村からメールが返ってくるまで、いつになくタイムラグがあった。

 やっぱり俺からの連絡を待っていたんだぜ。
 きっと、珍しくも拗ねているんだぜ。

 ドキドキしつつ開いたメールは、けれど、肩すかしのように普通のメールだった。
 件名は「お疲れさま」で、顔文字も絵文字も入っていないのはいつものことだ。

 お疲れさま。
 こっちもやっと終わったよ。
 久しぶりにゆっくり寝られそう。

 「寝られそう」の一語に、不覚にも鼓動が速くなる。
 直後に送られてきた2通目の「明日の夜、時間ある?」にとどめを刺され。
 「ある」と、これ以上ないくらい短い返信をするのが精一杯だった。


 短いデニムのスカートを履いて、足元は素足にサンダル。
 そんな格好で夜道を歩く奴があるか、と怒鳴りつけたくなる衝動をこらえる。
 やっぱり河村の家まで迎えに行けばよかった、と中途半端に照れてしまった自分を悔やむ。
 けれど、店の手伝いを終えた後、自分に会うのにわざわざ服を着替えてきてくれた。
 その事実は素直に嬉しかった。
 実は今夜は優紀は留守だ。
 それを知ったら、河村は家に来るのを遠慮するかもしれない。
 そう思って黙っていた。
 でも、もしかしたら、今ならそれをバラしても大丈夫かもしれない。
 河村は、帰ってしまったりしないかもしれない。
 そんなことを考える。
 確率は五分と五分。
 俯いた視界の端に、サンダルからあらわになった河村の爪先が映って、思わず顔をあげた。

「それ、いいな」

 自分でも驚くくらい、スルリと、言葉は口をついて出た。
 あざやかなオレンジに染められた、光る10本の指の爪。
 ペディキュアなんて優紀で見慣れていたけれど、河村のそれは初めてだった。

「似合うかな?」

 照れくさそうに笑う。
 ああ、と頷いて、お互いの距離を1歩縮めた。

「最高じゃねーの」

 冗談めかして言ったセリフの、真意だけはしっかり伝わった、みたいだ。





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 欲望にまかせて書いてしまいました女子隆。
 亜久津が弱腰3割増しという感じで、それも申し訳ないような。
 視点が途中で隆→亜久津と変わっています。









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