ママの言祝ぎ




 その昔、今よりもずっと気性の荒かった彼女の息子が、たった1人親しくしていた近所の子どもは、更に昔、実は息子と同じくらい気性の荒かった彼女の2人目の息子となって、今、1人目の息子の傍らにある。



 ただいま、と自宅の玄関を開けたら、おかえり、と応じてきたのは母親の声だった。
 すでに実家を出た現在では、それだけでも驚くべきことなのに、何やら派手な紙袋を携えた彼女の隣に座る同居人の頭には、見覚えのあるようなないような、丸くて黒いものが生えている。
「仁お帰りー」
「お帰り、亜久津」
 相も変わらず若作りな優紀の横で、河村は頭から妙な、おそらく耳あろう何かを生やして、けれど、いつもどおりにこにこと笑っている。
 よく見ると、見慣れた角刈りの上には、プラスチック製のカチューシャと思しきものが鎮座していた。
 丸くて黒い、おそらく耳は、河村の頭から直接にではなく、そのカチューシャから生えている。
「優紀ちゃん、この前の連休に行ってきたんだって」
 河村はそう言って、隣県の、日本で最も有名であろうテーマパークの名をあげた。
「だからって、何でテメエがこんなもんはめてんだ」
 亜久津は河村の頭から、問わず語りにネズミのそれと判明した耳をむしり取る。
 しかし、抗議の声をあげたのは、むしり取られた本人ではなく、むしり取られた本人である河村の同居人である亜久津の母親である、つまり優紀だった。
 河村と異なり違和感がなかったため、亜久津は気づかなかったが、実は、彼女の頭にも耳つきのカチューシャが載っている。
 ちなみに、こちらは白いネコ。
 三角形の小さな耳と耳との間には、おまけとばかりにピンク色のリボンも付いていた。
 ちったあ年を考えろ、と毒づく息子を、似合ってればいいの、と軽くいなし、見かけよりも豪胆な母は笑った。
「ね、隆君?」
 そう言って、亜久津の手から取り上げたネズミを、再び河村の頭に装着する。
 いかにも男子の角刈りの上に、再び、黒くて丸い2つの耳が出現した。
「やっぱり似合うわ」
 喜色満面で手を叩く。
 今も昔も河村がお気に入りの彼女は、優紀ちゃんも似合うよ、と河村に言われ、少女のような嬌声をあげた。



 ネズミやネコの耳つきカチューシャの他にも、件のテーマパークで、優紀はたくさんの買物をしてきていた。
 彼女の持参した、大人の腕でひと抱えほどもある紙袋の中身が、全て自分たちへの土産だと知って、亜久津も河村も思わず言葉を失う。
 これで、優紀自身の分や、職場等、自分たち以外への土産に比べれば少ない方だというのだから、一体どれだけ買いこんだのか。
「これチョコレート。これクッキー。味は、こっちがハニーでこっちがオレンジね。それから、これもチョコ。クランチ入り。夏休み限定缶なの。気が早いでしょ?で、こっちも限定。パジャマ。青が隆君で黒が仁」
 テーブルの上に並べられていく色とりどりの品々を前に、優紀は段々と早口になっていく。
 息子たちに言葉をさしはさむ隙も与えない。
 それでも、何とか律儀に相槌を打つ河村に対し、亜久津は、早々に母親の相手を放棄して床に寝そべった。
 手の中には、優紀が店を開き出して、一番最初に、これ仁の分ね、と手渡されたものがある。
 河村とお揃いの、黒く丸いネズミの耳。
 しかし、両耳の間に、河村のそれにはない、赤地に白いドット柄のリボンが付いているのはどういうことなのか。
 ぐったりと横たわる息子をよそに、優紀は、紙袋の底から、大きなぬいぐるみを取り出した。
 どうやら、土産はこれでラストらしい。
「かわいいでしょー。何となく隆君に似てない?」
 のほほんとした表情の黄色いクマを河村に抱かせ、しきりにはしゃいでいる。
 ぬいぐるみの頭をしきりに撫で、この分だと、ついでに河村の頭も撫でかねない。
 そう思った亜久津は、いまだ手の内で玩んでいたネズミの耳をテーブルの上に放り、困惑したような河村の腕から、ぬいぐるみを取り上げた。



 亜久津仁は、自他ともに認める甘党である。
 したがって、彼の母親が、彼の家へと買ってきた土産は、その大方を甘い甘い菓子類が占めていた。
「俺、お茶淹れてくるね」
 河村は、そう言って、ネズミの耳をつけたまま台所に向かう。
「ホント、隆君たらかわいいんだから」
 その背中を嬉しげに見送り、優紀は亜久津の方へ向き直った。
「素直だし、いい子だし、仁とは大違い」
「悪かったな」
 その昔、不良少年だった亜久津は、この母親に、普通ならばしなくても良い苦労を、それはそれはたくさんさせた。
 そして、その苦労が彼女の精神を、頼りない外見からは想像もつかないほど強靭にしたのだが。
 あたし、隆君みたいな息子がほしかったんだ、と言われ、亜久津はバツの悪い思いで横を向く。
 けれど、次いで、優紀の口から発せられた言葉は、思いもかけないものだった。
「だから、あたし嬉しいの」
 何が、と顔を上げた息子の腕から、黄色いクマのぬいぐるみを取り上げ、ぎゅっと抱きしめる。
 優紀は、ふいに真顔になって、少しだけ台所の方を気にした。
「隆君が、あたしの息子になってくれて」
 テーブルの上に放り出されていたネズミの耳を手に取り、呆然としていて抵抗を忘れた亜久津の頭に、そっと載せた。
「隆君を、あたしの息子にしてくれてありがとう」
 そうして、まるで祝福のように笑った。
 次の瞬間、優紀は、ティーカップを3つ載せた盆を手に河村が戻ってきたときには、もういつもの、気楽そうな顔に戻っていた。



 その後、河村が携帯電話のカメラで撮った、ネズミ(雌)の耳を付けた亜久津の写真は、回り回って、元青学や山吹のテニス部の面々の目に触れることになる。
 もちろん、亜久津は激怒するのだが、それはまた別の話。







 最後いきなりシリアスっぽくなりましたが、絵面を考えると、笑っていただければ良いかと。だって、亜久津さんミ○一ですよあなた。
 そういえば、隆はミッ○一さんと誕生日が一緒だったなあ、と内容とあまり関係のないことを考えながら書きました。未来話を書くときには、何でかタカさんアルバムの「いつも」をよく聴きます。あのアルバムでは、1時間くらいのうちで隆は2度も風呂に入っています。かげろうお銀かしずかちゃんか隆か。
 優紀ちゃんは、亜久津が大人になる頃、開き直って突然最強になると思う。亜久津の父親は、亜久津にそっくり説と隆にそっくり説が自分の中であるのですが、いまだに結論は出ていません。




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