ファーストインプレッション




 ファミリーレストランのテーブルを挟んで、何年かぶりに相対した男は、記憶にあるよりも随分、背が伸びていた。
 自分と同じくらい、いや、逆立てた髪のアドバンテージがなければ、自分よりも高いかもしれない。
 ソファの上で大きな体を縮こまらせる河村を、亜久津は仔細に観察した。
 首から上は、あまり変わっていない。
 髪型は、最後に会ったときと同じだし、上目遣いにこちらを窺う表情にも覚えがあった。
 違うのは、その体だ。
 身長はもちろんだが、それだけではない。
 分厚い制服の生地を、内から押し上げるような筋肉。広い肩も厚い胸も、手足ばかりひょろひょろと長かった、小学生の頃とはまるで別人だった。
 その道の人間ならば涎を垂らしそうな体は、しかし、自分のような、生まれながらの、何の努力もなく手に入ったものとは違う。
 激しいトレーニングの成果であることが、一目で分かった。
 亜久津は、河村の足元に置かれたテニスバッグに視線をやった。
「テニス、続けてたのか」
 亜久津が言うと、河村は神妙な顔で頷いた。
 河村がテニスを始めたのは、中学校に入学する直前だった。亜久津は、道場の帰り、一度だけ彼とテニスの話をしたことがある。
 もっとも、そのとき、亜久津自身はもうテニスをやめていたけれど。
 河村が、青学テニス部のレギュラーであると優紀に聞いたのは、つい先ほど、ここへの呼び出しの電話でだ。
 3年間の空白を挟んで、河村がもう一度自分に会いたいと言ってきたのは、十中八九、テニス部のため。今日の午後、亜久津が青学に乗り込み、テニス部員を襲撃した件について話をするためだろう。
 電話口で、今にも泣き出しそうな母親の声を聞きながら、亜久津は腹を立てていた。
 亜久津の知らない河村の3年間。その、決して短いとは言えない時間を、彼はテニスに捧げてきた。
 ふざけるな、と我知らず口にしていた。



 河村は俺のものだ。
 まだほんの子どもの頃からずっと、亜久津はそう思ってきた。
 根拠など何もない。しかし、彼の心も体も自分のものだと、河村に初めて会った瞬間、亜久津は確信した。
 道場で無敵を誇る亜久津の強さに憧れ、向けられた眼差しの純粋さ、誰とも馴じもうとしない亜久津を心配して、かけられた声の真摯さが、その思いを強くした。
 空手をやめ、別々の中学に進み、表面上の交わりが消えても、不安などなかった。
 誰も、何も、自分から河村を奪うことはできない。
 河村は俺のものだ。
 強すぎる執着は、いつしか、一つの信仰とさえいえるものになっていた。
 だからこそ、亜久津はテニスが許せなかった。
 知らない間に河村のうちに入り込み、その体を作り変え、今、また河村に、ウチの生徒に手を出さないでくれ!などという、亜久津からすれば信じられない言葉を吐かせる。
 お前は誰のものだ、と学ランの襟首を締め上げ、問い詰めてやりたい気分だった。
 嫉妬が胸を焦がし、その矛先が実の母親にさえ向かいかけ、暴れ狂う感情に何が何だか分からなくなった亜久津は、気がつくと、目の前に置かれたコップの中身を河村の頭にぶちまけていた。
 浴びせられた液体が頬を伝い、顎先から滴り落ちる。呆然としながらも、河村は、テニスバッグが濡れてしまわないよう、自分の手で庇った。
 無意識であろうその仕種に、怒りのメーターの針が振り切れそうになる。
 空になったガラスのコップを、テニスバッグを庇う河村の手に思い切り叩きつけてやりたくなる。
 おそらく、隣に優紀がいなければ、本当にそうしていただろう。
 ふつふつと煮えたつような気持ちを抱えたまま、踵を返す。去り際、喧嘩をふっかけてきた河村の後輩の存在は、亜久津にとっては、むしろ願ったりだった。




 叩き潰してやる、と思った。
 テニスも、テニスをしている奴も皆、許せなかった。
 たかが球遊びが、自分と河村の間に入りこんで、間男のような真似をする。
 間男。
 腹を立てているはずなのに、自分の思いつきがおかしくて、亜久津は喉の奥で低く笑った。
 真夜中の公園には誰もいない。亜久津はベンチに座り、1人、煙草をふかしていた。
 都大会の決勝は明日。日付が変わっているので、正確には今日。
 青学以外の学校は、すでに亜久津の眼中にはなかった。
 決勝で青学を叩き潰し、夜には、ここに河村を呼び出してやる。河村を呼び出し、テニスをやめると、この場で誓わせるのだ。
 テニスさえやめれば、昨日の店で会った河村のチームメイト、河村は俺たちの仲間だと言わんばかりだった奴らとも、自然に縁が切れるだろう。
 それに……
 亜久津は、短くなった煙草を消し、ニヤリと唇を歪めた。
 テニスをやめると誓わせるばかりではない。くだらない間男になびいた尻軽には、少し、思い知らせてやる必要もあった。
 自分は誰のものなのか。
 自分の主は誰なのか。
 河村は、自分のものであり、河村の主は自分だ。
 口で言って分からなければ、体に教えてやる他にないだろう。
 目を閉じると、逞しい体とアンバランスに幼い河村の顔が、瞼の裏に浮かぶ。
 下腹の辺りが孕んだ熱に、思わず拳をベンチに打ちつけた。木製のベンチが、悲鳴のような音とともにひび割れる。
 お前の男は俺だけだ、と口に出した台詞の異常さに、笑い出したいような気分だった。
「俺の女にしてやるよ。なあ、嬉しいだろ?河村」
 殊更に大きな声で、そう言った。
 最高の1日になりそうだった。







 コミックスの10巻を読み返したら、悪津な亜久津が書きたくなりました。こういう2人もアリだな、と思いつつ、この亜久津に隆はやれん、と花嫁の父のような気持ちにもなったり。普段書いているアクタカさんとは、別のアクタカさんだと思っていただければ幸いです。



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